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伊藤レナの 美術館巡りを愉しむ Vol.3
川崎市岡本太郎美術館
セカンドハーフ「爆発!のすすめ」。戦後最大の「熱いおじさん」岡本太郎と自然のパワーを全身に浴びて、元気をもらおう!
生田緑地という絶好の自然環境に恵まれた川崎市岡本太郎美術館。大人から子供まで愉しむことができる。
 いま、岡本太郎が再ブームなのです。大阪万博の『太陽の塔』や「芸術は爆発だ!」でお馴染みの彼の著作集や関連本の刊行は引きも切らず続き、雑誌では特集が組まれ、新聞には「岡本太郎ブーム再熱」の記事、展覧会にも作品が展示される機会も多くあります。さらに2003年9月には、メキシコ郊外の町で行方不明の巨大壁画が発見、大々的に報道され、ますます岡本太郎という存在に注目が集まっています。
 このブームの決定版といえるのが、1996年の岡本太郎の没後3年、1999年、神奈川県川崎市生田緑地内に開館した川崎市岡本太郎美術館。画家、彫刻家、また思想家、写真家、民俗学者でもあった岡本太郎の多面的な活動を紹介するほか、太郎の母岡本かの子、父岡本一平の作品の展示、さらには、近・現代美術の収集と展示が行われています。
 「芸術は爆発だ!」のイメージがあまりにも強く、ともするとメディア露出度の高い単なる「ヘンテコおじさん」の岡本太郎ですが、美術館の豊富なコレクションと展示を見れば、ただの「ヘンテコおじさん」ではない、戦後日本で異色の存在感を放った類まれなる一人の人間、「岡本太郎」を再認識することができるでしょう。

常設展示:岡本太郎の多面的な活動を紹介。太郎出演の懐かしいCM映像を見ることができる。
『母の搭』 高さ30m/開館当初、狐や狸の住み所を奪う“自然破壊”であると批判された川崎市岡本太郎美術館であるが、この陽気な子供たちを見ると“破壊”というよりむしろ、“共存”もしくは“融合”という言葉が浮かぶ。
 広大な生田緑地内に足を踏み入れた私たちをまず初めに出迎えてくれるのは、万歳ポーズの陽気な子供たち。彼らは大昔からそこにいたかのように緑地の自然に溶け込み、森林の蔭から顔を覗かせ、迷宮の太郎ワールドへ誘ってくれます。
 館内に足を踏み入れると、目の前には真っ赤な壁に「太陽の顔」。一気に非日常の空間に引き込まれます。展示室は形、色彩、照明がそれぞれ異なり、「美術館」というよりむしろ「テーマパーク」といった様相を呈しています。


「グラスのそこに顔があってもいいじゃないか」「瞬間瞬間を爆発して生きろ」「己自身と戦え」館内には、岡本太郎のあの独特の口調の肉声や言葉が溢れ、眼をギョロッとむき、指先まで力を込めたあのお決まりのポーズの太郎の蝋人形や等身大パネルが顔を覗かせます。もはやこの空間は、「美術館」でも「テーマパーク」なく、「岡本太郎」自身。訪れたものは、いつの間にか自らの内なる「爆発」パワーが躍動してくるのに気付くのです。
『傷ましき腕』
「逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ」

『傷ましき腕』 (1936/1949年)本作品を含むパリ時代の作品は、帰国後、戦災に遭いすべて消失。今日の残っているパリ時代の作品すべては、太郎自身の手による戦後の“再制作”による。

 この人は、何かにじっと耐えているのだろうか。それとも、怒っているのだろうか。いや、深い悲しみにくれ、俯き、むせび泣いているようにも見える。肩をいからせ、腕に筋を立て、渾身の力を込めて黒い二本の紐を握り締めている。紐は腕にぐるぐると巻きつき、周囲は痛々しく赤むけしている。まるで、この黒い紐の運命的な呪縛から永遠に逃れられないかのようだ。ただ、血のように赤いリボンだけが、じっとまっすぐ前を見つめている。

 『傷ましき腕』は、パリ時代、25歳の時に描かれた岡本太郎の代表作。モデルは「岡本太郎自身」という説が有力です。この作品で、象徴的に描かれる「リボン」は、岡本太郎がパリ時代に繰り返し描いたモチーフ。一体、このリボンは何を表しているのでしょうか。
 「リボン」の解釈は諸説ありますが、ここではこの真っ赤なリボンを、颯爽とした生命力、何かに立ち向かう強い意思を象徴するものと解釈しましょう。痛々しく巻きつく黒い紐の痛みに耐える姿は、人間の根源的な孤独や悲しみ、怒り、苦しみを象徴しています。しかし、この痛みから逃げようとはせず、むしろ、この痛みを自らのものとして受け入れようとしています。ここには、「痛み」「苦しみ」「孤独」という自らが抱える「負」の存在を見て見ぬふりするのではなく、それを真正面から見据え、自覚し、受け入れることによってこそ、逆に生まれてくる鮮烈な生命力が満ち溢れています。この勇ましい生命力の象徴となるのが、岡本太郎が若き日に繰り返し描いた真っ赤なリボンなのです。「逃げない、はればれと立ち向かう」という彼のモットーは、この作品に体現されています。

『夜』
「日本では決してオリジナリティーを認めない。何でも時代の状況にあわせ、一般の基準に従わなければ許されないのだ。あえて己の筋を貫き「ノー」ということ」

パリで文化人類学を学びマルセル・モースと交流があった岡本太郎。「樹」と手前に見える「石」は、文化人類学的なテーマをモチーフにしたとも考えられる。かの横尾忠則は、この作品を引用して『夜の会合』という作品を制作している。

 猛々しい感情に取り付かれたかのような不気味な樹木が幹を伸ばす暗黒の森の中に、一人の女性が颯爽と立つ。女と視線を合わせるのは樹木の幹から半分顔を覗かせる髑髏。純潔の象徴であるかのような真っ白いドレスをまとった女は、一見、不動の神聖さで現前するおどろおどろしい世界と対峙しているように思える。しかし、この世界で彼女が正気を保つことができるのは、背中に隠し持つ鋭く長い牙を持つナイフという凶器の支えがあるからなのかもしれない。

 戦後初期を代表するこの作品は、岡本かの子の遺作『生々流転』の装丁を原形として制作されました。また、花田清輝や植谷雄高らによる前衛芸術の研究会「夜の会」の名前は、この作品名『夜』から採られたことでも有名です。
 白いドレスの女性は、ナイフを片手に髑髏に向かっていくのか、それとも、不気味な森の闇に飲み込まれてしまうのか…。『夜』は、今後の展開を様々に予感させる文学的な魅力をもった作品です。“可憐な女性”と“凶暴な刃物”というアンバランスな取り合わせは、見るものをドキリとさせます。それにしても、美しい女性に凶器を握らせる画家の心理とはいかなるものだったのでしょう。もしかしたらこの女性は、戦後の日本社会で、あえて己の筋を貫き「ノー」といって、立ち向かっていく岡本太郎自身の姿なのかもしれません。

『森の掟』
「絶対に反抗することができない世界で、弱腰になったら負けてしまう。だから、逆に挑戦した。弱腰になって逃げようとしたら、絶対に状況に負けてしまう。逆に、挑むのだ」

『森の掟』 (1950年)/日本の前衛芸術の流れの中でどれだけ大きなインパクトを与えたかということははかりしれない。
『赤のイコン』 (1961年)/60年代以降、岡本絵画は、それまでの具象的なモチーフは影を潜め、抽象性を増し、カリグラフィック(書的)な要素を持ち始める。「芸術は呪術である」という言葉が、この頃の岡本絵画を読み解くキーワードとなる。
 『森の掟』は、『重工業』と並んで岡本太郎が提唱した“対極主義”を具体化した作品として有名です。
 “対極主義”とは、岡本太郎が1947年頃から提唱しはじめたもので、芸術家の姿勢とは、対立する二つの要素をそのまま共存させるべきであるとする少々哲学的な主張です。たとえば「無機的な要素と有機的な要素、抽象・具象、静・動、反発・吸引、愛憎・美醜、等の対極が調和をとらず、引き裂かれた形で、猛烈な不協和音を発しながら一つの画面に共生する」(『アヴァンギャルド芸術』美術出版社、1954)ということです。その両極の要素が反発しあうことで「生々しい、酸鼻を極めた光景」が出現します。「しかしそれに怖じず、逆に勇気を持って前進し、ますます引き裂かれ行く、そこにこそアヴァンギャルド芸術家の使命がある」と彼は強調するのです。 この“対極主義”は岡本太郎の生涯を貫く芸術観となりました。
 『森の掟』のチャックの怪物は、まさに、対極のものが引き裂かれることによってもたらされるエネルギーを象徴しています。“森”は、チャックの怪物の登場により、猛烈なエネルギーが渦巻き、さまざまな生き物たちはこの渦に巻き込まれ、飛び交い、なかにはこの暴れん坊の赤い怪物に食べられ、惰性的な平穏が打ち破られます。空間は今まさに、チャックの怪物によって引き裂かれ、異様な軋み声を上げてスパークしようとしているのです。この世界のありようこそが、“対極主義”、岡本太郎の追求する「アヴァンギャルド」であり、生き方だったのです。

彫刻作品
「財産がほしいとか、地位がほしいとか、あるいは名誉なんていうものは、ぼくは少しも欲しくはない。欲しいのはマグマのように噴出するエネルギーだ」

 館内には、絵画作品とともに常設展示としてたくさんの彫刻作品を見ることができます。
 岡本太郎の彫刻のフォルムは、どれも子供の創作のようにキュートで気取りなく、無限の空間を謳歌しています。「こんなにこの世は広いのだから、のびのびしようじゃないの。もっともっとスパークしよう!」彼の口からはこんなセリフが飛び出してきそうです。岡本太郎という人物の求めてやまなかった「マグマのように噴出するエネルギー」は、平面という規制の空間には収まりきれず、無限の空間が提供される立体芸術にこそ表現されているようにも思えます。

「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」

『太陽の塔(1/50)』(1970年)館内には『太陽の塔』のミニチュア版が常設展示されている。
『犬の植木鉢』(1963年)こんな植木鉢だって「作品」です。
 そのあまりにも単純明快なフォルムは、時に「美しくない」とか「稚拙」だという評価もされることもありますが、岡本太郎はこう言います。「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」 つまり、人から好かれるような芸術は価値がない、と言うのです。ですから、「美しくない」とか「稚拙」という評価は太郎にとっては望むところなのかもしれません。
 岡本太郎の彫刻を見ていると、抜けるような青空を見たときのような、すかーっとした気分になり、「芸術である」とか「芸術でない」とか「美しい」とか「美しくない」とかは、どうでもよくなるのです。この開放感、自由奔放な精神、子供のような無邪気さ、鬱屈した日本社会の殻を打ち破るような突出したエネルギー、これが岡本太郎作品の魅力。これを「芸術」と呼ぶか呼ばないかは、あなた次第です。

 川崎市岡本太郎美術館は、岡本太郎の魂がみなぎるスーパー啓蒙スポットです。ここでの「芸術鑑賞」とは、「癒し」という生ぬるい感情のみを創出するのではなく、人間の創造性を猛烈に刺激し、新たな創造性に導く啓蒙的な役割を果たします。どうせ自分は凡人だから何もできない、もう新しいことを始めるような年でもないし…、こんな不景気なときに何をやってもしょうがない…。何かしら理由をつけてクリエイティブな行為を押し殺している現代の私たち。戦後、ゼロ状態の日本を引っぱり勇気づけたリーダー的存在だった岡本太郎は、今再び、私たち現代人の惰性的な生き方に活を入れます。
 そうか、こんなに自由でいいんだ、何だっていいんだ、もしかしたら私にも何かできるかもしれない、よし!とにかく前に進んでみよう!岡本太郎の芸術は、あらゆる常識や秩序を覆し、私たちの魂をこの広い宇宙に解放してくれます。美術館を後にするころには、誰もが内なる「岡本太郎」の存在に目覚め、パワーアップしている自分に気付くことができるでしょう。65歳以上は入館料無料という嬉しいシニア割引もあります。

館内展示:太郎デザインの食器。/常設展示:『動物』(1956年)どこまでも自由奔放なフォルムに思わずニッコリ。

レストラン・カフェ
カフェテリア・TARO:テラスのある和みカフェ。

周辺は緑豊かな自然に囲まれている。
 美術館内にはテラスのあるカフェテリア・TAROがあります。ミュージアムショップも、岡本太郎デザインの小物やポストカードが充実しています。
美術館ほど近くにある川崎市日本民家園は、美術館とセットで訪れたいオススメスポット。生田緑地は、お天気の日、お弁当片手にピクニックがてら出かけてみるのも良い。また、川崎市内の学校や公共施設では、岡本太郎のパブリックアートをたくさん見ることができます。さらに、岡本太郎を極めたければ、東京、青山の旧アトリエ兼住居、岡本太郎記念館を訪れてみるとよいでしょう。


『今日の芸術』(岡本太郎著/光文社文庫 1999)

 岡本太郎の簡明な文章による美術入門書でもあり、ちんまりした日本人への啓蒙書。刊行当時は、大ベストセラー、いまだこの本を座右の書とする人も多い。「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という名言を含む、衝撃と感動の伝説の名著。横尾忠則が序文、赤瀬川原平が解説を執筆。

『岡本太郎宣言』(山下裕二著/平凡社 2000)

 「岡本太郎になる!」と高らかに宣言する著者の太郎へのオマージュ。「伝統」「文化」「アカデミズム」「戦後」「歴史」とは?岡本太郎とさまざまな言説を通しての考察。

『岡本太郎が撮った日本』(岡本太郎撮影/ 岡本敏子・山下裕二編 毎日新聞社 2001)

 写真家としての岡本太郎に迫る一冊。縄文土器のボコボコ装飾の度アップ、秋田のなまはげ、青森の恐山、沖縄の島々の風景…太郎の網膜が拾った根源的日本。岡本敏子、山下裕二の解説と対談収録。

わたしにとっての岡本太郎 山下裕二氏


 数年前、日本経済新聞に短い連載をしたとき、「太陽の塔を国宝にしろ!」というような暴論(?)を書きました。その折、担当者は相当苦労したようですが、私としては、もちろん、「日経」しか信じていないような方々にこそ、岡本太郎の真価を知って欲しい、と思って書いたわけです。かなりクレームもあったようです。
 その折、50代の読者から、うれしいお手紙をいただきました。たしか、「自分はしがないサラリーマン生活を送っているが、若いころに岡本太郎の『今日の芸術』から受けた感銘を胸に、組織の中で腐らずに生きている」というような内容だったと思います。ぼくは、その文章に深く心打たれ、この人が読んでくれただけでも、書いた意味があった、と意を強くしました。
 そんな気持ちで、これからも岡本太郎の思想を伝えていきたいと思っています。

1958年広島県呉市生まれ、東京大学大学院博士課程修了。明治学院大学文学部芸術学科教授。専門は雪舟などといった室町水墨画であるが、現代美術、写真、マンガなどの分野でボーダレスに活躍。著書に岡本太郎関連多数ほか、『日本美術の発見者たち』(東京大学出版会)『日本美術の20世紀』(晶文社)『室町絵画の残像』(中央公論美術出版)『日本美術応援団』(赤瀬川原平共著、日経BP社)『雪舟はどう語られてきたか』(平凡社ライブラリー)など。


川崎市岡本太郎美術館
地図
住 所
〒214-0032 神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5
電 話
044-900-9898
交 通
【電車】小田急線「向ヶ丘遊園地駅」南口より徒歩17分
【車】府中街道「稲生橋」より2分(生田緑地東口駐車場)
開館時間
9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日
月曜日(祝日の場合は開館し、翌火曜日に休館)
年末・年始(12/24~1/1)
観覧料
料金は展覧会によって異なる。
一般/500円 高校・大学生/300円 中学生以下と65歳以上/無料 ※要証明書(健康保険証など年齢がわかるもの)
身体障害者手帳等をお持ちの方/無料 ※要手帳
【常設展のみの期間】9/27~10/10、1/14~2/26
URLhttp://www.taromuseum.jp/

伊藤レナ(いとう れな)プロフィール
フリーアートライター。明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士課程前期修了。専門は日本近世(江戸時代)絵画。その他、古今東西の美術、また美術にとどまらず映画、演劇、音楽、文学など幅広く芸術全般にわたり、ジャンルに拘らず面白いものには接近する。最近は、心理学、精神分析、占いなどにも興味津々。
論文:「若冲についての覚書―「動植綵絵」中の4作品のルーツを探る」
(明治学院大学大学院文芸術学専攻紀要『bandaly』第1号、2002年3月)
●URL●http://www.e-rena.net