美術館巡りを愉しむ美術館巡りを愉しむ

伊藤レナの 美術館巡りを愉しむ Vol.1
宮内庁三の丸尚蔵館

四季の草花に囲まれた皇居内にある三の丸尚蔵館。皇室の名宝をたっぷりと堪能できます。


 地下鉄の大手町駅を地上に上がると1、2分で内堀通りにぶつかり、信号を渡ると皇居東御苑入り口。大手門をくぐるとすぐに管理事務所があり、ここで入園票をもらいます。進行方向のすぐ右手に見えるのが宮内庁三の丸尚蔵館です。四季折々の草花に囲まれた皇居内という緑豊かな環境で、数々の皇室のお宝を楽しむことができます。しかも入場無料。
 三の丸尚蔵館は、昭和から平成にかけて、皇室から国へ寄贈された約6千点におよぶ美術工芸品の一般公開の場として、平成5年に設立されました。現在は約8千点もの作品 が所蔵されています。
 そのラインナップは、小野東風、藤原佐理、藤原行成、三跡の真筆ほか貴重な書跡、室町時代以降の漆工品、高村光雲、山崎朝雲らの明治期の彫刻、絵画では、『春日権現験記絵巻』『北野天神縁起絵巻』といった絵巻物、狩野派、琳派、円山四条派などの近世絵画、近代の日本画ほか著名な中国絵画などと、質、量ともに実に豪華。
 残念ながら常設展示はなく、すべて企画展として展示されるため、いつでも見たいものが見られるというわけではありませんが、まめに足を運んで優れた所蔵品の数々を堪能したいものです。
伊藤若冲
 三の丸尚蔵館の所蔵品の中でも、ひときわ異彩を放つのは江戸時代中期の画家、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716-1800)の『動植綵絵(どうしょくさいえ)』という30幅のシリーズ。明治22年に皇室のコレクションに加えられた若冲畢生の大作『動植綵絵』は、さまざまな動植物を色鮮やかに描いたという意味で釈迦三尊像を荘厳するため制作されました。画家はこの連作の完成に40代すべての歳月を費やしています。残念ながら『動植綵絵』は現在修復中のため一般公開されていませんが、今後お披露目される機会があれば、ぜひともこの類まれなる江戸時代の才能の集大成を実見することをおすすめします。

 鶏の羽のアラベスク、うねる尾羽、アクロバティックな動感、赤と黒のコントラスト、13羽の鶏の息苦しいまでの生命感は見るものを圧倒する。しかし、この強烈な生命感とは裏腹に、描かれた鶏の眼は互いに視線を交差することは決してなく、死んだ魚のようにはるか彼方の空を見つめる。異常なまでの生命感と悲しいまでの虚無感、この不思議な混在が若冲の絵の魅力である。
 『群鶏図』は、“鶏を描いた画家”としての若冲の世評を決定づけたであろう作品であり、多くの鶏画のなかでも最高の完成度をみせています。若冲は自宅の庭に十数羽の鶏を飼い、その姿を執拗に観察して画に描いたと伝えられます。若冲の鶏はほんものそっくりに描かれていてすごい!などと言われることも多いのですが、鶏の専門学者に言わせればプロポーションや器官のかたちや位置など本物の鶏とは程遠いものだそうです。
 しかし、若冲の描く鶏が「写生」とは程遠いものであっても見るものに「リアル」を感じさせる何かを持っているというのは芸術表現の本質を考える上で興味深いことですね。

『群鶏図(ぐんけいず)』(動植綵絵)絹本著色、縦142.1横79.5(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)
『雪中錦鶏図(せっちゅうきんけいず)』(動植綵絵)絹本著色、縦142.1横79.5(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

 若冲の絵は、見るものの想像力をどこまでも刺激します。
 例えば『雪中錦鶏図』の雪の描写に対しては、ある人はこの雪には霊が宿っていると言い、またある人はアイスクリームのようだと言っています。またある人は、これは間違いなく男性の精液の描写だと言い、生涯独身を通した画家の性に対する屈折した心理を読み解こうとしました。実のところは、若冲に聞いてみなければ分からないし、若冲自身も、もしかしたら分からないかもしれません。
 しかし、若冲の雪がほかの画家の描く雪とはまったくことなった質感を持ち、見るものの想像力を刺激する不思議な存在感を持っているというのは事実です。
 美術館を訪れた際、多くの人がキャプション(作品解説)に書かれている内容をもとに鑑賞を進めるでしょう。たとえば、先の『雪中錦鶏図』の解説に「この雪の描写は精液を表している」と書かれていたら、自分でよく絵を見るまでもなく、「ああ、これは精液の描写か。なかなか江戸時代の画家も大胆だな」と結論付けてしまいます。
 しかし、これでは本当に「絵を見た」ことにはなりません。専門家といえども自分と同じ人間、その解釈もひとりの人間のものです。解説はあくまで参考として、裸で作品と向き合ってください。私にはこの雪はアメーバに見える、いや、綿菓子に見える、でいいわけです。ひとつの作品を前にして自分自身の想像力と自由に戯れる、これが芸術鑑賞のひとつの愉しみ方なのです。


葛飾北斎
 『富嶽三十六景』や『北斎漫画』で有名な、江戸後期の画狂老人こと葛飾北斎(かつしかほくさい、1760-1849)の晩年の肉筆画、『西瓜図』をはじめて見たときの衝撃は今でも忘れられません。西瓜という何でもないモチーフが描かれる一枚の蔬果図から立ち込める妖艶な魅力。薄暗い美術館の中、この画を前に北斎のただならぬ才能を確認したのでした。

 西瓜にかぶせられた和紙のしっとり感、透けて見える西瓜のみずみずしさ、端から少しのぞく果肉の鮮烈な赤色、上に載せられた菜切り包丁の金属の質感、柄の木の質感、そして縄に垂れ下げられた西瓜の皮の重みとうねうね感。『西瓜図』の見どころは、これらの質感描写の描き分けにあります。
 そして、実はこの何でもないような西瓜の画は、七夕飾りの見立てとなっているのです。画面上部3分の2を占めて意味ありげに描かれる紅白の「皮」は、「紅白の糸飾り」、半割りの「西瓜」は「盥(たらい)」、「包丁の刃と和紙」は「梶(かじ)の葉」の隠喩の形象となっており、当時の七夕飾りを抽象的に取り出したものとして読み解くことができるのです。
 現代の私たちにはこのような七夕飾りは馴染みのないもので、この画の隠された意味を読み解くことは難しいですが、この画が描かれた当時、七夕伝説とその祭事についてよく知る人たちにとっては、楽しい謎解きを与えてくれる画だったのです。

 若冲、享年85歳、北斎、89歳。二人は生涯まるでとりつかれたようにひたすら絵筆を握り続け、当時としては驚くべき長寿を全うしています。晩年の作品からは、亡くなる直前まで彼らの創作への意欲は衰えることなく、むしろそれは高まるばかりだったことが確認できます。彼らの情熱は芸術に昇華され、今でも多くの人たちに感動を与え、年齢に関係なく何かに対する情熱や、探究心を持ち続けることの大切さを訴えているように思えるのです。
 美術館近くの休憩所では図録やポストカード、一筆箋を購入することもできます。若冲の『動植綵絵』のポストカード、「群鶏図」の一筆箋は超おすすめ。美術鑑賞の後は皇居散策をし、ベンチに腰掛けて小鳥のさえずりを聞きながら日向ぼっこをすると、ほんとうに心が安らぎますよ。


『西瓜図(すいかず)』紙本著色、縦86.7横29.7、天保10年(1839)(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)
『西瓜図(すいかず)』紙本著色、縦86.7横29.7、天保10年(1839)(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

レストラン・カフェ
 大手門のすぐ近くには老舗ホテル、パレスホテルがあり、待ち合わせやランチに利用することができます。特に、地下2階アイビーハウスのカレーランチはおすすめ。すべてのカレーに7種類のトッピング、サラダまたは野菜ジュースのサービスが付き、辛さやライス(バターライスor普通)のチョイスもできます。
 歩きつかれたら大手町ビル地下1階、画廊喫茶『ルオー』でコーヒーを一杯。平日は場所柄、打ち合わせなどで利用するビジネスマンがほとんどです。中には明らかに仕事をサボって週刊誌や単行本を読みふけるおじさんの姿も・・・。ビジネス街の雑踏の中にありながらも、のんびりと時間が流れる和みスポットです。

宮内庁三の丸尚蔵館 地図
住 所
千代田区千代田1-1
電 話
03(3213)1111(代)
土・日曜日の連絡先 03(3213)1177
交 通
地下鉄大手町(C13b出口)徒歩5分
開館時間
3月~10月: 9:00~16:15(入館は16:00まで)
11月~2月: 9:00~15:45(入館は15:30まで)
観覧料
無料
休館日
展覧会期間中の毎週月曜・金曜(天皇誕生日以外の祝日の場合は開館)
宮内庁ホームページ
URLhttp://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05.html

伊藤レナ(いとう れな)プロフィール
フリーアートライター。明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士課程前期修了。専門は日本近世(江戸時代)絵画。その他、古今東西の美術、また美術にとどまらず映画、演劇、音楽、文学など幅広く芸術全般にわたり、ジャンルに拘らず面白いものには接近する。最近は、心理学、精神分析、占いなどにも興味津々。
論文:「若冲についての覚書―「動植綵絵」中の4作品のルーツを探る」
(明治学院大学大学院文芸術学専攻紀要『bandaly』第1号、2002年3月)
●URL●http://www.e-rena.net