懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.12 竹富島・渡名喜島(沖縄県)懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.12 竹富島・渡名喜島(沖縄県)

竹富島・渡名喜島(沖縄県)沖縄の離島に残る赤瓦と琉球石灰岩の町並み

沖縄特有の風土と歴史がつくりあげた文化遺産

今回の町並み探訪は、沖縄の二つの離島で、どちらも重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建)に指定されている竹富島(たけとみじま)と渡名喜島(となきじま)、そして本島首里城近くの首里金城町(きんじょうちょう)を訪ねます。竹富島は1987年、渡名喜島は2000年に重伝建に指定されましたが、これまで紹介してきた本土の町並みとはまったく趣の異なる独特の町並み(家並み)は、沖縄特有の風土と歴史がつくりあげた文化遺産ともいえるものです。

竹富島(沖縄県八重山郡竹富町)

往年のヒット曲、小柳ルミ子の『星の砂』を知っている人はそれなりの年齢でしょうが、このモデルとなったのが竹富島のカイジ浜(皆治浜)です。美しい星砂の浜に見られるように、全島ほとんどが隆起珊瑚礁からできていて、水に恵まれず、農耕地としては適地でなく、江戸時代には米納のために西表島(いりおもてじま)まで行って、米を作っていたといいます。

竹富島は日本の最南西端の八重山諸島の一番南西の端近く、石垣島の沖合南西約6kmの海上に浮かぶ周囲8km余りの平坦な小島で、石垣港からの便数も多く容易に訪ねることができます。竹富町(たけとみちょう)は八重山諸島最大の西表島をはじめ、波照間島(はてるまじま)など周囲の多くの離島を町域に持ちますが、町役場は石垣島の石垣市にあるという珍しい自治体です。

集落は島の中央部よりやや北寄りに発達し、漆喰で固めた大小の赤い屋根瓦が目につきます。白砂の道、その両側には屋敷にめぐらされた塀でもある石垣が続きます。そして緑の木々と極彩色の花が、強烈な太陽に映えています。

竹富島の町歩きでは、まず島中央の赤山丘に建つ展望台「なごみの塔」から、赤瓦の家並みを俯瞰するのがベストです。赤い瓦を漆喰で塗り固めた寄棟屋根の平屋建ての建物と、それを取り囲む琉球石灰岩の石塀が小さな島に整然と並んでいるのを見ることができます。

一周30分の観光用の水牛車に乗ると、ゆったりと揺られながらブーゲンビリアが咲く石垣塀の町並みを眺めることができます。集落内は、ゴミはおろか枯葉一枚落ちておらず、島民挙げて環境を守っていることが分りますが、それが嫌味に感じないのは、観光客におもねるようなものがないからでしょう。

唯一例外といえるのがこの水牛車ですが、これも質素で無骨なもので、これが練り歩く風景は集落風景に絶妙に溶け込んでいます。水牛車から聴こえてくる全国的にも有名な「安里屋ユンタ」は、この島で歌い継がれてきたユンタが元歌になっています。

竹富島では美しい島を守り生かすため、「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」という五つの基本理念を「竹富島憲章」として制定して、町並みや伝統行事・伝統技術を守っています。八重山諸島の一大観光地ともなっている竹富島の集落ですが、ビル建築や現代的な外観の住宅は皆無で、観光客に迎合したような土産物屋の類も一切ないことは、称賛に値することです。

2012年、星野リゾートが「星のや竹富島」を開設しました。島の住居と同じ赤瓦で平屋の建物など、島の景観に配慮した施設の建設は、竹富島から全国に発信する新しいリゾート開発のお手本になるようです。

  • 星砂の浜=カイジ浜(皆治浜)
  • なごみの塔
  • なごみの塔からの眺望
  • 観光客用の牛車
  • 琉球石灰岩の石垣塀
  • 旧与那国家住宅
  • マイヤシと呼ぶ目隠し塀
  • 竹富小中学校
  • 小城盛(クスクリム)
  • 竹富島の案内看板

赤瓦葺住居とシーサー

竹富島ではフーヤ(主屋)の前に庭、後ろに菜園があり、これらの周りをグック(石垣)や屋敷林が囲みます。建物の伝統的様式は、漆喰で固めた赤瓦葺の寄棟造りの木造平屋建てで、外壁には木板を張り、木板雨戸を付け、軒は低く大きくしています。

屋根には魔除けのシーサーがにらんでいて、なかなかユーモラスでもあります。雄一匹か、雄雌のペアがいますが、三匹いる家もあります。シーサーは魔除けのために屋根にあるのですが、屋根裏の熱気を抜く換気口の働きもしています。

  • 石垣塀上のシーサー
  • 赤瓦屋根上のシーサー①
  • 赤瓦屋根上のシーサー②
  • 石垣塀上の変りシーサー

渡名喜島(沖縄県・島尻郡渡名喜村)

渡名喜島と言われてもピンと来ないでしょう。那覇市の北西約60km、久米島と慶良間諸島・粟国島のほぼ中間に位置する渡名喜島と無人島の入砂島の二島からなる沖縄県最小、かつ日本で二番目に小さい自治体が渡名喜村(となきそん)です。人口は過疎化が進んで400人弱しかいません。

そんな過疎の小島・渡名喜島に行ってみようと考えたのは、もちろん2000年にその町並みが重伝建に指定されたからでした。島に渡るには那覇の泊港からフェリーで2時間余、島に泊って翌日久米島に渡らないと那覇に戻れないという不便に旅になりますが、これも町並み探訪の楽しみの一つともいえます。

渡名喜島は竹富島ほどではありませんが、沖縄本島ではほとんど見られなくなった伝統的な赤瓦の家屋が比較的多く残っていて、島の集落全体が重伝建地区として指定されています。しかも竹富島とは違って、まったく観光化されておらず、赤瓦の家屋、フクギの屋敷森、石垣などを特色とする歴史的景観が良好に保持されています。

これらの家屋は風除けのため、塀に囲われた敷地を掘り下げて、屋根を道路とほぼ同じ高さにする工夫をした「掘り下げ屋敷」という、渡名喜島固有の特徴を備えていますが、近年ではコンクリート家屋への建替えや廃屋の増加が進んでいることから、村では条例により集落の景観保存を図っています。

村の集落は港から1時間ほどで一周できる規模ですが、竹富島と違うのは、フクギとういう、常緑樹が低い石垣の上に並ぶ生垣の塀や屋敷森が続く景観です。宿泊できる宿も民宿を含めて三軒しかなく、泊まった宿も、ふくぎ並木と石垣に囲まれた散在する赤瓦屋根の古民家六軒を村が管理して泊らせる独特の形となっていて、渡名喜島に来たことを実感できます。

フクギ並木

渡名喜島の集落は、フクギ並木に囲まれています。昔からの沖縄の風景が今も残る、珍しい地域です。フクギは砂地にもよく育ち、大木になるばかりでなく、直根が深く入り込んで台風にも倒れず、葉も密生するので、防風林や屋敷林として最適です。

渡名喜集落のフクギの屋敷林は高い密度で分布しており、県内でも希な緑豊かな集落景観を形成しています。この屋敷林によって夏の直射日光を遮り、また葉っぱからの蒸散作用により屋敷内の気温を低下させ、涼しく過ごすことができ、冬には北風を防ぎ、寒さをしのぐことができます。

  • 観光案内の看板
  • 唐三彩風のシーサー
  • 素焼きのシーサー
  • 藍茶のシーサー
  • 仲村家
  • フクギの生垣塀
  • 掘り下げ屋敷
  • 古民家
  • 白漆喰の屋根
  • フクギ塀と家屋

首里金城(沖縄県・那覇市首里金城町)

沖縄本島に行く人は、必ず世界遺産の首里城に行くと思いますが、城の南側に観光客もあまり行かない静かな石畳道と石垣があるのでご紹介します。眺望の良い石畳道の両側に琉球サンゴ石灰石の石垣が高く積まれ、琉球王府当時の国王の別荘への御成道の様子を彷彿とさせる坂道です。

「金城町(きんじょうちょう)石畳道」は長さ300mあり、琉球石灰岩が敷かれた沖縄県指定文化財の石畳道で首里城から続いています。尚真王の時代(1477~1526)に首里城から南部へ行く道として造られたそうです。戦争で一部なくなり300mしか残っていませんが、両脇に沖縄の古民家があり、風情あふれる場所です。

この石畳は、旧首里城守礼門南脇にあった石門(いしじょう)から識名(しきな)、国場(こくば)、真玉橋(まだんばし)を経て南部へ至る重要な道の一部でした。首里の主要な道が石畳道に改造された16世紀のはじめ、1522年ごろにこの石畳道は造られたと推定されています。

全長300m、道幅4m。敷石は大小の琉球石灰岩を組み合わせた「乱れ敷き」で、石の表面には適度な加工が施されていましたが、長い年月で摩耗しています。急な所では、滑り止めの横線の刻みを入れたり、階段をつけたりしています。沿道の石垣は、琉球石灰岩を用い、主に沖縄独持の石積みの手法である「あいかた積み」で積まれていて、石畳と調和して城下町の風情を残しています。

首里城界隈は、昭和20年沖縄戦当初の3~4月に他の地域に先駆けて米軍の焼夷弾で城も城下町も焼き尽くされ、城の土台や周囲を固める石垣群だけが残りました。城南の金城の町も焼け跡に屋敷囲いの石垣などが大方残り、昔の城下町の面影を忍ばせる石畳道が今に見られることになりました。

首里城から行くと下り道なので、首里城の石垣を十分に見学した帰りには、守礼門の手前を左に曲がってこの金城の坂道をぜひ辿ることをお勧めしたいものです。

  • 戦災にも耐えた首里城の石垣
  • 金城の石畳道
  • 金城石畳道の看板
  • 金城の石畳道
  • 石敢當(いしかんどう)
  • 金城大樋川の共同井戸

アクセス

交通
竹富島
羽田空港→那覇空港→石垣空港→石垣港→竹富島
羽田空港→石垣空港(直行便)→石垣港→竹富島
渡名喜島
羽田空港→那覇空港→那覇市泊港→渡名喜島
首里金城
羽田空港→那覇空港→首里金城

竹富島マップ

渡名喜島マップ

首里金城マップ

関連リンク