懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.8 近江八幡・五個荘(滋賀県近江八幡市・東近江市)懐かしい歴史の町並み探訪 Vol.8 近江八幡・五個荘(滋賀県近江八幡市・東近江市)

Vol.8 近江八幡・五個荘(滋賀県近江八幡市・東近江市)日本三大商人の1つ、近江商人の発祥の町

湖国近江を訪ねて

古くから近江(現在の滋賀県)は湖国と呼ばれ、奈良・京・大坂に近いという地理的特性も手伝い、古代・中世から物資や人材の供給源・中継地として、さらに畿内と東国・北国とを結ぶ要衝として発展し、日本の中央史に大きく関わってきました。

とくに織田信長以降の近世において、長浜、彦根、近江八幡、草津、大津、坂本といった城下町や宿場町、門前町などの町が発展し、歴史的町並みも数多く残っています。

今回は、大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の1つ、近江商人(「西武」「高島屋」「大丸」「伊藤忠」「丸紅」「西川産業」など日本を代表する企業の前身)を輩出している、近江八幡と五個荘(ごかそう)を歩いて訪ねます。

八幡城下に残る近江商人と水郷の町・近江八幡

JR東海道本線「近江八幡駅」から北西へ約2km行くと、八幡城の城下町・八幡の町があります。八幡城は、安土城消失3年後に、豊臣秀吉の命を受けた甥の豊臣秀次が、八幡山に築城したもの。秀次は、城山の北東に武家地、南東に町人の町を配置し、さらに京の都に倣って碁盤の目状の町づくりをしました。そのうえで安土の商工業者を呼び寄せ、楽市楽座による自由商業制を取り入れました。

また、八幡城の麓に八幡堀と呼ばれる運河を建設して、交通幹線だった琵琶湖を往来する荷船をすべて八幡に寄航させました。その結果、八幡掘には帆船が往来し、濠端には蔵が立ち並び、近江八幡は商都として大いに活況を呈しました。

その後、秀吉との対立で秀次は失脚させられ、八幡城は廃城となりましたが、八幡商人の熱気は衰えることなく、天秤棒を担いで諸国に出向き、全国に支店を持つとそのネットワークを活かして大豪商へと成長していきます。「本家・本店は八幡に構えること」という家訓のもと、八幡は豪商の町となり、全国に八幡商人(近江商人)の名を高めました。

明治20年、東海道線が敷設される際、鉄道開設を拒絶して2kmも離れた田んぼの中に駅を作ったこの町は、幹線国道沿線から外れたことで、近代化の波にのみ込まれることをまぬがれ、静かで穏やかな古い町並みみが残りました。

時代劇のロケ地として頻繁に使われる八幡掘は、当時の面影が現在も残っています。水辺には土蔵を中心とした古い建築物が多く残り、独特の風情を感じさせます。ここを訪ねる観光客も多く、八幡堀周辺には堀を巡る小さな遊覧船も行き交っています。

堀の東側には旧町人町が展開し、秀次以来の碁盤目状の町人地と町家建築も色濃く残っています。直交するそれぞれの街路には、京の都と同じように小路名が付けられており、その中心となる新町(新町通)と永原町(永原通)界隈は、日牟礼八幡宮境内や八幡掘沿いの町並みと共に、「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」として重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

この2つの小路では、江戸中期から明治にかけて建てられた古い家並が展開し、一部には梲(うだつ)を構えた旧家もあります。

そのなかの1軒、西川利右衛門家(旧西川家住宅)は、江戸の長者番付にも載った豪商で、外観は他の商家と違わないものの、内部には京風の部屋や苔を敷き詰めた庭園などがあり、さすがの重厚ぶりです。それでも華やかさはなく、あくまでも質実剛健といった趣で、「始末してきばった」「三方よし」の近江商人魂を見るような思いがします。

  • 八幡山から望む琵琶湖
  • 近江八幡の由来となった日牟禮八幡宮
  • 八幡掘と蔵の景色
  • 八幡掘をいく屋形船①
  • 八幡掘をいく屋形船②
  • 旧伴家住宅(市立資料館)
  • 八幡山を背景とした新町通りの商家
  • 旧西川家住宅
  • 永原町通りの商家
  • 白雲館(観光案内所)

近江八幡は、水郷の町でもあります。それは市の東北部を占める琵琶湖最大の内湖・西の湖を中心にヨシの原野が広がり、水路が縦横に流れているためで、琵琶湖八景の1つ「春色・安土八幡の水郷」の舞台です。新緑の季節に和船に乗り、ゆっくりとヨシ原の水郷を巡ると、近江八幡ならではの風情が楽しめます。

  • 西の湖の手漕ぎ和船・舟巡り①
  • 西の湖の手漕ぎ和船・舟巡り②
  • 琵琶湖舟巡り乗場とヨシ原①
  • 琵琶湖舟巡り乗場とヨシ原②

水路と商家の邸宅群の調和した商人集落・五個荘金堂町

近江商人のなかでは八幡商人、日野商人などが有名ですが、近江八幡市の北東には五個荘商人を輩出した五個荘町があります。五個荘という地名は、平安時代の山前荘(やまざきそう)日吉領内にあった5つの荘園にちなみます。近江五個荘商人のルーツは、中世に延暦寺の荘園だった現在の八日市を拠点とした保内商人まで遡りますが、江戸時代前期から活躍した八幡商人や江戸中期に台頭した日野商人とくらべて、五個荘商人の活躍は幕末から明治時代でした。

湖国近江は琵琶湖が大きく占めていますが、その面積は滋賀県の6分の1ほどで、湖東には広い扇状地や平野が広がっています。五個荘町(現東近江市)は湖東の真ん中、JR東海道本線「能登川駅」から東におよそ4km、東海道新幹線の西方に位置し、近江八幡よりもさらに幹線道路から外れていることから、伝統的な町並みが現在も色濃く残っています。また、貴重な存在の金堂(こんどう)地区(重伝建地区)には、重厚な町並みが静かに佇んでいます。

川並集落から金堂集落へと歩いていくと、真宗大谷派の古刹・弘誓寺(ぐせいじ)という、比叡山根本中堂の次に大きい本堂がそびえています。近江には真宗門徒が多く、町はカテドラルを中心に造られたヨーロッパの古い町みたいに、真宗寺院の本堂を囲むように家々が配置されています。

城下町(商人町)として出発した八幡や日野とは違い、農業のかたわら、副業で商売を行っていた五個荘には白壁の土蔵を中心とした屋敷が立ち並びますが、町並みに商家建築は見られません。それは、五個荘商人が富を築いた後も純粋商人へとは転じず、農業を中心とした半農半商の生活を貫いたためです。

金堂地区には舟板塀や白壁の屋敷が続き、塀に沿って湧水(愛知川の伏流水)を流している用水路が巡っていて、「こんなにすてきな町並みみが残っていたか」と驚かされます。「近江商人屋敷」として町が保存しているのが、外村(とのむら)本家とその分家。本家は京呉服の販売などで財を成した外村宇兵衛家。『草筏』や『花筏』など近江商人を描いた作品や、『澪標』のようにここを背景にした作品を描いた、作家・外村繁が分家に生まれています。

金堂地区から東へ近江鉄道・五個荘駅近くに、スキー毛糸で財を成した藤井彦四郎邸が広大な庭園を構えて残ります。市の歴史民俗資料館も兼ねています。

  • 弘誓寺の山門
  • 弘誓寺門前の用水
  • 金堂地区のあきんど通り
  • 外村繁家
  • 外村宇兵衛家
  • 食事処「めんめんたなか」
  • 金堂地区の町並み
  • 藤井彦四郎邸(歴史民俗資料館)
  • 藤井彦四郎邸の庭園
  • 近江鉄道「五個荘駅」

アクセス

交通
近江八幡市
JR琵琶湖線「近江八幡駅」下車
近江鉄道「近江八幡駅」下車
東近江市五個荘金堂町
JR琵琶湖線「能登川駅」下車バス10分
近江鉄道「五箇荘駅」下車徒歩30分
問い合わせ先
近江八幡観光物産協会
TEL:0748-33-60611
滋賀県観光情報
TEL:077-511-1530

マップ

近江八幡(近江八幡市)
五個荘(東近江市)

関連リンク