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年輪を重ねることはそれなりに愉しい人生 VOL.9 バックナンバー

どれくらい練習をしたか、全力を尽くしてどれくらい結果が出せたかが問題です

5月19日(木)〜6月1日(水)開催のフィンランド・ヘルシンキ大会まであと少しですね。

和田:今年はぜひメダルを取りたいです。2004年 いわて大会金メダリスト畑山惣一選手が、今年のヘルシンキ大会に出場します。北海道出身で今20歳ですが非常に頑張っています。中学を卒業し、宮大工になりたいといって富山県の工務店に就職したのです。とてもやる気のある子です。


大会に向けてご自宅で合宿をされていらっしゃいますが、どんなトレーニングをしていらっしゃいますか。

和田:昨年から自宅で合宿させて、息子が選手の指導をしています。もう5ヶ月くらいになりますね。朝から夜の10時くらいまでずっと練習をしています。図面の解き方も教えなくてはなりません。大会は一発勝負ですから、何回も繰り返し練習をして、図面をいかに理解して、時間を短縮するように訓練を重ねていきます。課題には、必ず部分的に難しく作っているポイントがあります。そういうものを、できるだけ数多くの経験をさせるようにしています。大会で、この課題はどの大会のあの部分と同じだというのが、わかってくるようになれば問題も早く解けるようになります。

選手を育成するうえでどんなことを心がけていらっしゃいますか。

和田:どうしてもメダル獲得にこだわりがちなのですが、どれくらい練習をしたか、全力を尽くしてどれくらい結果が出せたかが問題です。全力を尽くしても、残念ながらメダルを取れなかったという人は、次のときの成長が全然違います。その悔しさというのは、とても大きな力になるからでしょう。必ずしもみんな優秀な人だけが全国大会に出ているのではないのです。しかし、練習の過程でどんどん成長が見られるのです。
 精神集中という面では、今では音楽聴きながらやるというのは普通なのでしょうが、大会の雑音の中でも精神が集中できるように、わざと同じような状況で練習をしました。


今まで練習してきたんだから、おまえなら絶対できるんだ!!

人材育成の上で難しい点はどんなところですか。

和田:ただ誉めるだけではダメなんですね。若い人は誉めると天にも昇りますが、急降下もするのです。その辺の手綱さばきが非常に難しいですね。私も選手を預かってその子が巣立っていくときには、やりがいを感じています。今若い人たちの事件が多い状況ですが、決してそんな人たちばかりではないです。130人の選手たちが必死で競技する姿をみたら、親たちはまさに釘付けになって感動しています。


メダル獲得に選手の能力が最大限発揮されるように、どういうアドバイスをされるのでしょうか。

和田:会場で全力を尽くしてもらうというのがなによりです。「今まで練習してきたんだから、おまえなら絶対できるんだ!!」と、最後にいつも声をかけています。全力を尽くせないというのは悔いが残りますから。


先生が一番こだわっている点はなんでしょうか。

和田:これは、国内大会で私が作った資料です。これは手書きです。大会まで、こういう図面作りの準備をしています。まず、下書きをします。国際大会に出る人はみなソフトを持っています。私は深夜の作業で、一年中睡眠不足です。もともと描くことは好きですから、図面も手書きでやっています。
 CADを使うと便利ですが、建築大工もプレカットによって技(技術)がだんだんなくなりつつあります。こういう手書きの技術もだんだんなくなって、問題を解く技術もなくなっていきます。だから、CADは便利ではあるのですが、建築の技をなくしてしまうという怖れがあります。設計図もほとんどCADですから、線をひけない設計屋さんがいるだろうし、我々も鉋も削れない大工さんが増えていくようで残念です。だから、私は手書きにこだわっています。


2003年第37回スイス・ザンクトガレン大会に和田氏が提出した課題。

CADを使わずに手書きで図面を書いている。“職人”としてのこだわりである。

大会ではどんなアクシデントがありますか。

和田:図面が解けないというのが致命的です。それで、長さや、角度が決まったりするわけですから。例えば、勘違いして問題を解いたり、写し間違いなどがあるようです。国際大会は全く自力です。1997年のスイス国際大会でこんなことがありました。精密機器組み立て部門で、日本のデンソーの選手が、設計図にミスがあると指摘しましたが、これは選手生命をかけたアピールで、実際にこの選手が正しかったのです。このように中間でのアピールはできます。しかし、競技が始まると基本的には質問はダメになります。


メダル獲得を目指すというのが、何よりの励みになると思います

今後の展望はいかがでしょうか。次の第39回(2007年)技能五輪国際大会は、いよいよ日本(開催地:静岡)で22年ぶりに開催されるということですが。

和田:今年(2005年)のフィンランド大会でも問題がいろいろ起きています。日本とヨーロッパとの電動工具の安全基準に違いがあり使用できなくなるのではと、今機械メーカーに動いてもらっています。会場で不安になることがあるのですが、エキスパートはその不安にも対応していかなくてはなりません。
 日本での開催は、第19回(1970年)国際大会(開催地:千葉)、第28回(1985年)国際大会(開催地:大阪)に次いで、第39回(2007年)国際大会(開催地:静岡)で3回目になります。日本ではエキスパートを選手側が選びますが、他国では国が選びますから、毎回同じ人がエキスパートになるので皆顔見知りになるのです。だから、大会でも融通が利くことがあるようです。
 私が次もエキスパートを必ずやるとは限らないのですが、今、職種ごとに国際大会選手強化対策委員会を作っています。若い選手たちがこれからの日本を担っていくわけですから、私がやれる範囲で力になれればと思います。やはり、メダル獲得を目指すというのが、何よりの励みになると思います。


現在のお仕事はどのようにされていらっしゃるのでしょうか。

和田:仕事は息子と細々とやっています。一般住宅は3ヶ月に1棟ずつ仕上げるのが一般的なのですが、私は1年間に1棟しか造らないんです(笑)。まさに手作りの家です。コストダウンの中で、逆にコストをかけてやっています(笑)。付加価値の高いものを作っていこうかな、と。大手のハウスメーカーと張り合っても、なにも勝ち目がないものですから。あまりにも大きく建築が変わってしまって、今はほとんどプレカットです。もう削ることもできない、切ることもできない、釘も打てない、もちろん研ぐこともできない、という大工が主流になってしまい、大工は組み立て屋さんになってしまいました(笑)。


自分の好きな道を進むのが、何よりの励みになるはずです

ご自身の進路はどのように決めたのでしょうか。


和田さんが描いたチャールズ・ブロンソンの肖像画。
絵を描くのが大好きで、大人になってもさまざまな人を描いている。
和田:私は1964年東京オリンピックの年に、中学を終えて新潟(小千谷市)から東京へ就職に来ました。私は絵が大好きでしたから、小学1年頃からずっと絵ばかり描いていたんです。同級生は皆、私が絵の道を進むと思っていたようです。我流なんですけどね、とにかく描くことが大好きなのです。
 でも、中学のときに大学出の美術の先生に「お前の絵は確かにきれいに描けているけれど、銭湯の壁画と同じだ」と言われました。絵だけは誰にも文句言われたことがなかったのでショックでした。私の又従兄弟が1学年下でしたが、同じ先生に誉められたんです。誉められた又従兄弟は絵の道に進み、今では美術専門学校の主任講師をしています。誉められなかった私は、絵の道に進まず、大工の道に進みました(笑)。
 母校の中学校で講演を頼まれたときに、その美術の先生を招待して昔の話をしたら、「やっぱり自分の言ったことは間違いない。お前がもし絵の道に進んでいたら、今のお前はないのだから。絶対間違ってない」と、言っておられました(笑)。
 でも、好きな道だから進んでこられたのです。私は中学のときに自分の進路を決めて進みました。選手たちもすでに進路を決めています。若い人たちに言いたいことは、中学は高校、大学に進む単なる通過点と考えるのではなく、目標を持って、まず自分の進路を決めてもらいたいということです。そのためには、自分の好きな道を進むのが、何よりの励みになるはずです。早い時期に、そういう目標が持てるほうがいいと思います。

職人としての思い入れをお聞かせください。

和田:“職人”という形がすっかり変わってしまいました。“職人”という言葉は好きですが、今は“職人”という言葉すらなくなりつつあります。大手のハウスメーカーでは伝統は守れないし、我々は小さいところだから逆にこだわることができるのです。
 私の父は現在99歳ですが、瓦葺き屋根の職人でした。「大工になるなら東京へ行け」と父が言ってくれたのが、私にとって大工への第1歩でした。親父が口癖のように言っていることは、「職人の技は、自分ひとりのものではなく、借りたもの(親方や先輩に教えられたこと)は必ず返せ(後輩へ伝えること)」ということです。
 父の教えに私も共感しているものですから、同じ建築仲間として若い選手を育てるということで、職人の技を守り伝えていくのが、私たち大人の義務だと思っています。「借りたものは返せ」という意味で、企業や団体などという垣根を作らずに、支援できるものはできる限り支援していこうと思っています。
 私も56歳ですからね、生涯現役でありたいし、生涯職人でありたいので、好きな道をいつまでも頑張っていきたいと思います。



TonTon インタビューを終えて

 最後に、和田さんがお持ちになってくださった絵画をみて、一斉に感嘆の声が上がりました。玄人並みで、本当にお上手です!学校の恩師の言葉に左右されることも確かにありますね。しかし、どの道に進んでも好きなことは必ず生かされているような気がしてなりません。みせていただいた手書きの図面もCADに負けないほどの素晴らしいものでした。
 中学のときに進路を決め、時代はどんなに変わっていこうと、職人の技は変わらない、という信念を持ち、職人の道を歩み続けている和田三郎氏。そして、自宅の作業場で技能五輪国際大会の選手を指導している、その情熱に敬服致します。ご健闘とご成功を心よりお祈りしています。


速報!和田三郎氏からの現地レポート


■ 2005.6.6: 〔結果報告〕
 第38回技能五輪国際大会(フィンランド・ヘルシンキ)の日本の成績は、金メダル獲得数が世界第1位、総メダル獲得数が世界第5位という素晴らしい好成績を獲得しました。

●金メダル獲得数
1位 日本、スイス、南チロル・イタリア・・・5個
(日本が金メダルを獲得した職種:ポリメカ二クス、メカトロニクス、機械製図CAD、CNCマシニング、情報ネットワーク施工、デモンストレーション職種)
4位 ドイツ、フィンランド・・・4個
6位 韓国、オーストリア、オーストラリア・・・3個

●総メダル獲得数
1位 スイス
2位 韓国
3位 南チロル・イタリア
4位 ドイツ
5位 日本・フィンランド
7位 チャイニーズタイペイ
8位 オーストリア
9位 オーストラリア、スウェーデン


5月31日の閉会式。多くの感動を胸に、第 38 回技能五輪国際大会(フィンランド・ヘルシンキ)の幕を閉じた。

世界の舞台で熱く闘い抜いた日本の選手たち。建建築大工職種の畑山選手は8位にランクイン。

■ 2005.6.1: ヘルシンキより〔大会最終日〕 和田 三郎
 5月29日大会最終日モジュール2の組み立て、モジュール3を残してのスタートでした。2時間44分を残しモジュール3を開始、果たして組み上げることができるか大きな賭けでもありました。3時52分残り5分間で組み立てを決断。展開図面や、墨付け、刻みも、決して満足のいく出来ばえではないが「なんとしても、組み上げたい」と、畑山選手の決断に組み立てがスタート。しかし、未完成のまま3時57分すべてが終了。
 「本当によくやってくれた」と、白井親方が感動の涙で選手と交わした握手に、周りからも大きな拍手が送られました。静岡大会・プロデューサーの残間里江子氏も応援に駆けつけ、「なぜか気になってここに足が向くのです。感動しました」と握手を交わしました。
 電動工具や競技課題についての問題を残しながらも、今後の課題として持ち帰りたいと思います。31日の閉会式での結果発表を残すのみとなりました。


最後まで全力を尽くし、健闘する畑山惣一選手。

4日間におよぶ競技が無事終了。組み立てられた課題を前に(右端が和田さん)。

建築大工職種で闘った各国の選手とエキスパート、競技はすべて終了した。

■ 2005.5.30: ヘルシンキより〔大会3日目〕 和田 三郎
 大会3日目を迎えました。畑山選手、苦戦しながらも親方の白井さんの見守る中健闘しております。第1モジュールは、韓国の選手がトップで組み上げました。ヨーロッパ選手の技術力の高さに驚かされましたが、韓国の選手には、さらに驚かされました。なんと、工業高校の生徒で18歳とのことです。「この程度は当たり前、国際大会で優勝でするよりも、国の代表になるほうがもっと難しい」と、自信たっぷりのエキスパートです。
 エキスパートは場内に缶詰状態のため、他の職種の様子はあまりよくわかりません。ただ、食事の時会うと、お互いにため息をついております。


建築大工職種・畑山惣一選手、競技開始前に。右から2番目が和田さん。

競技開始、4日間22時間の競技時間で課題を完成させる。

エキスパートは、途中で図面の審査に続いて、墨付け、加工、組み立て、完成の順で審査がある。

■ 2005.5.27: ヘルシンキより〔大会2日目〕 和田 三郎
 開会式を迎え、今日(27日)大会2日目を迎えます。畑山選手は、健闘中ですが、ヨーロッパ勢の技術の高さに驚かされます。
 日本の電動工具がヨーロッパ規格に合わず、トラブルもありましたが何とかクリアし、今日加工に入ります。毎日強行なスケジュールの中で選手とともに少々疲れ気味です。選手は若さで乗り切れると思います。


第38回技能五輪国際大会フィンランド会場。

加盟国42カ国による開会式が盛大に行われた。

建築大工部門・畑山惣一選手が現在健闘中!

■ 2005.5.24: ヘルシンキより 和田 三郎
 第38回技能五輪国際大会(フィンランド:ヘルシンキ)エキスパート(審査員)会議3日目が終わり、ホテルに戻りました。午後9時にもかかわらず、太陽が赤々と照りつけ、10時頃日没の予定です。日本では「2℃から13℃だから冬支度を」と言われてきました。しかし、連日25,6℃の暑い日がつづき、ホカロンやセーターでは的外れの仕度に着る服がなくなりました。
 畑山選手(20歳)は、明日(24日)会場で再会をします。12課題、19の展開図面を描き、5ヶ月間の長い長い練習に耐え、25日開会式、26日に初日を迎えます。日本の技が世界に通用するか、応援をよろしくお願いいたします。良い結果がご報告できたら幸いです。


エキスパート会議を終えて。左端が和田三郎さん。

整然とした競技会場。これから熱い闘いが始まる。


和田三郎(わださぶろう)氏プロフィール

1948年新潟県小千谷市出身。1986年に独立し、(有)和田工務店を設立。日本古来の建築技術である規矩きく術を駆使し、1989年第8回技能グランプリ全国大会準優勝、1990年第9回全国大会準優勝、1991年第10回全国大会準優勝、1992年第11回全国大会で優勝する。1995年第33回技能五輪国際大会(フランス)エキスパート、2003年第37回技能五輪国際大会(スイス)エキスパート、2005年第38回技能五輪国際大会(フィンランド)エキスパートを務め、出場選手の育成に尽力し、日本古来の卓越した技が世界に知られる架け橋となる。長男の智一さんは、1995年第33回技能五輪国際大会(フランス)にて銅メダルを獲得。技は次世代に引き継がれている。
2005年11月卓越した技能者の一人として、第39回「現代の名工」を厚生労働大臣より表彰される。

技能五輪国際大会関連サイト
■Ginoh 21 Japan
■スイス大会の模様
■スイス大会出場選手からのメッセージ動画配信


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