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年輪を重ねることはそれなりに愉しい人生 VOL.5 バックナンバー

私が私でないなら、私はいったい何ものであろうか?/ヘブライ文学翻訳家 母袋夏生(もたいなつう)氏/当時はまだ、知られざる国であったイスラエル。何のために生きているのだろう?と自問して選んだイスラエル遊学の道。ヘブライ語を学び、ヘブライ文学に魅せられた母袋氏は、帰国して数年後、翻訳の道を目指し現在も熱心に翻訳活動を続けています。翻訳書を通して、生き抜くには何が必要なのか?人間にとって本当に大切なものは何か?を考えさせてくれます。これから先も、今自分にできることを、自分の目で、自分の足で、見極めて生きていきたいと母袋夏生氏が熱く語ります。

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自分の目で、自分の足で、見極めて生きていこうと決意しました
母袋さんは約30年前にイスラエルに留学(1970〜74年)されましたが、当時としては画期的なことだったと思います。留学しようと決めたきっかけや目的はどんなことだったのでしょうか?

母袋(敬称略):イスラエルは当時の日本では全く知られていない国でした。私は大学卒業後、教師をしていたのですが、当時はイスラエルのキブツ(KIBBUTZとは「集まる」を意味するヘブライ語。通常「農業共同体」と訳される)の教育が、日本では「教育のユートピア」とされていました。キブツの教育が魅力的だと思いましたので、教育者として、そういう理想的な教育を自分の目で見なくてはと思ったのです。
 もう1つの理由は、私自身としては、当たり前のように敷かれた道を歩きたくないという思いがあったのです。その当時は、「24,5歳になったら結婚をし、30歳までにはよいお母さんになる」というような社会構造でしたが、「私が今、そういう道を歩んだら、不満だらけの人生を送るだろう」と思ったのです。「自分自身の人生を真剣に生きていないんじゃないか?」という疑問もありました。だから、これだという自信が欲しかったんです。その自信を持つためには、「自分の人生なのだから、自分で選ばなくてはならない」と思ったのです。そうしないと、周囲がいろいろと決めてしまいます。1年間論文を出したり情報収集をしたりと、周到に用意を進めました。そして、仕事を辞めて留学しました。
 「今自分ができることを、自分の目で、自分の足で、見極めて生きていかないと、芳しい30代、40代を迎えられない」と、ちょっと切実な恐怖感があったと思います。

周囲の人たちの反対はなかったのですか?

15年前、平和だった頃の観光用駱駝/エルサレム郊外。平和が戻ってほしい 母袋: 両親を早くに亡くしまして伯母たちが後見人だったものですから、伯母たちを説得しないとイスラエルへ行けない事情がありました。これが、とても難航しました。イスラエルは「砂漠で戦争をしている国」というイメージが強いですから(笑)、キブツ関係の本などを見せて説明をしても、そんな難しい本など読んでくれませんから、なかなか納得してもらえませんでした。親がいたら、子どもがこんなに一生懸命に行きたいと言っているのなら行かせてやるだろうと思ったものです。親ってそんなものでしょう?でも、伯母たちは責任感のほうが強かったのだと思います。
 結局は行きました。まだ海外渡航が自由な時代ではありません。1ドルが360円の時代でした。持ち出しの金額も300ドルと決まっていました。
キブツでは“働かざるもの食うべからず”
イスラエルではキブツで体験をされたそうですね。キブツとはどのような目的で始まったものなのでしょうか?

母袋:ユダヤ人迫害は歴史的に繰り返されてきましたが、 19世紀にヨーロッパやロシアでポグロム(ユダヤ人襲撃・略奪)や反ユダヤ的事件が頻発し、それに呼応するように、自分たちも郷土をもって自衛しようとユダヤ人たちが立ちあがりました。いわゆる「シオニズム」と呼ばれる運動ですが、その一環として、暑熱の不毛の地をどうやって開拓していこうという試験的な試みが行われていました。
 1909年にはトルストイの理想農村思想やマルクス主義の影響を受けた実験的キブツがガリラヤ湖畔につくられ、それが理想主義的な集団社会として成功するにつれて、徐々に各地に広まっていきました。

実際にはどのようなことをするのでしょうか?

キブツでは果樹栽培が盛んだ 母袋: 個々に農業や工業やゲストハウスを経営して産物を市場に出しています。キブツは “各人がそれぞれの能力に応じて働き、必要に応じてとる”という思想に基づいて運営されています。キブツ草創期には労働力分散を防ぐことがなにより大切でした。
 女性の家事労働にかける時間の集約を例にとってみましょうか。「たとえば、5人が洗濯をそれぞれ30分ずつやれば総計2時間半かかる。1人が5人分をまとめてやれば、せいぜい1時間か1時間半ですむ。炊事や掃除にも同じ理屈があてはめられる。あまった時間で他のことができるし、他の4人は他の仕事にまるまる取り組める」という発想です。つまり、「外敵(黄熱病やマラリア蚊、湿地、乾燥、砂漠の灼熱、アラブ人など)と闘いながら開拓するのは個人ではとうてい無理だが、20人集まれば50人分の労働を創りだしていけるはず」だと青写真を描いて、それを実行したんですね。
 基本には集団生活に適応できる人間かどうか、という問題があります。がりがりの個人主義者や利己的な人は無理です。すべてガラス張りでプライバシーがほとんどありません。そういうのがいやな人は出て行きますし、キブツに理想を求めて入ってくる人もいます。キブツができた当時も現在も、人口の約3%の人たちがキブツで暮らしています。

どのような人たちが集まってくるのでしょうか?

母袋: 私が留学した頃は、ヒッピーの時代とちょうど重なったせいか、日本の若者たちは外に出るチャンスとして、キブツを捉えている面がありました。労働するかわりに少なくとも食と住の面倒はみてもらえますから。聖書考古学に興味がある人、実験的なものが行われている国なので社会学に興味がある人、ヨーロッパからは太陽を求める人たちが集まってきます。日本の場合は、キリスト教の聖地として行ってみたい、というクリスチャンも多かったようですし、新聞記者や画家もいました。

現地での生活などは予想されていたのと違いましたか?

エルサレム旧市城壁と時代層をなす遺跡 母袋: 全然違いましたね(笑)。まず、1つには風土の違いがありました。
 温暖湿潤な日本の気候に対して、イスラエルは強烈な日差しで乾燥していますから、強烈な色彩でないとぼやけてしまいます。パステルカラーのスーツやワンピースを持っていったのですが、全くだめ。まあ、ジーンズとTシャツで済んじゃいましたけれど。

イスラエルの気候はどんな感じですか?

ホテルの窓からテルアビブと地中海を望む 母袋: 空気が乾燥していますから、どんな時でも水の補給はとても大事です。地中海沿岸の商業都市テルアビブは、日本でいうと横浜みたいな気候です。暑いし、じとじとしています。私が拠点にしていたエルサレムは、標高約800mの山上の町で軽井沢より涼しいくらいです。夜の間に露がおりますし、石造りの建物は、太陽の灼熱を遮ってくれます。夏に住むのは最適でした。冬には雪も降ります。


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