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Editor's Selection VOL.3 バックナンバー

中国留学体験記 晩学雑感 第1回 文・写真 韓 文善 “留学”・・・この言葉は限りない憧れと夢をもつ。

60歳近くなって留学を実行するとなると、二の足を踏むのが当然であろう。
今回中国から寄稿していただいた韓文善氏は、それに敢然と挑んだファイトの人である。
中高年になって気後れがちになってしまう方々に、格好の清涼剤になるのではないだろうか。

中国深セン(シンセン)へ留学する


写真左側は深セン市の小学校。下校時に迎えにくる児童たちの父母や家族たち。車で通学する子どもも多い。安全と駐車のために下校時には通行禁止となる。
 私が深センに来てからまだ2年半である。ここでは学校での勉強がほとんどであり、ここで交流する人びとは、教授や学生もしくは少数の駐在員とその家族である。だから中国を論じることには限界があると思う。
 同じ課の学生たちが、時々大学院の教科課程の一環として、訪問した会社について、中国の会社としての評価をしてくれるよう頼まれることが多い。この会社が中国を代表する会社ではないから、中国の会社として評する事には問題があるが、私がこの会社に対する所感を述べることはできる。それは、私が韓国を代表している訳でなく、私の過ちがあっても韓国人の過ちとして評価されないよう頼むことと同じ脈絡である。

 中国は、未だ多くの西洋人たちには「竹のカーテン」に遮られた国と思われているかもしれない。冷戦時代には、中国自体が資本主義国家との交流を制限していたから当然のことだが、現在でも各分野において透明性については少々問題があるようだ。このような先入観のせいか分からないけれども、私もこちらに来る決心したその日まで、中国に対して知っていることは極めて制限された部分に過ぎなかった。いや、中国語の勉強以外は一切関心のない国であったから、ほとんど知らなかったと言っても過言ではない。
 中国は、対外解放25余年が過ぎた。現在でも多くの場で、過去の体制を固守しようとしているのが隠然たる中に見える。我々が過ごしてきた世界の体制や文化の違いによって、それに違和感がある。また、神秘的にすら感じることがあるのも事実である。いわば、中国は過去の共産主義体制から市場経済体制的社会主義(中国人は今の体制を“中国的社会主義”と称するらしい。著者が任意でつけた名称)への転換において、経済体制は資本主義に疾走し、日常生活は個人主義化されているには間違いない。


アパート警備員の教育訓練。すべてのアパートに警備隊がいる。訓練時には迷彩服を着て毎週訓練を受ける。勤務時は、警察に似たような服装である。
 中国留学のためには、言葉も字もわからないので、まず言語の習得が必須である。そこで仲介会社から、北京にある「大学附属言語研修院」を紹介され、手続きを頼んだ。だいぶ待たされたが、大部分の言語研修院が入学許可は45歳以下という年齢制限があり、北京地域は困難であるという返事だった。仕方なくどこでもいいから探してくれるよう頼んでみたが、やはり難しいと言われ内心驚いた。全く予想してないことだった。なぜなら中国であれば結構年齢を重ねた経験のある人たちが、社会で活躍している国であると思っていたからだ。
 韓国の場合、コンピューター時代到来に伴い、経営革新やアジア金融危機以後、各企業が非効率性を一掃する過程で、社員の整理も一般的である。大勢の若い社員たちが名誉退職(日本での勧奨退職のこと)する等、社会の各分野で進み、社会構造がかなり若くなっているのが現状である。学校入学の年齢制限とは、今どき耳を疑うことではないか?貿易会社を経営している友人が、香港支店の社員から香港に近い所にある深センにも大学があると聞いたから調べてみるとの連絡があり、頼むことにした。
 こうして私は、聞いたこともない深センへと留学の道を踏むことになったのである。

第二の人生の始まりー人生即ち準備

 以前韓国の歴史の教授から、遺跡を初めて鑑賞する場合、誰でも自分が知っている知識の範囲で見て理解すると聞いた事がある。遺跡への理解度が増すほど、以前は無関心で興味のなかったものが次第に興味が増すというのだ。解説を聞きながら古跡を観ていれば、古跡に対する関心も一層増し、本人も理解しようと努力するに違いない。我々の日常生活においても、国家間の事でも、個人の嗜好に対しても同じであると私は思う。事物に対する関心や興味と、その事物に関する理解や知識に深い関係があるといえよう。


町の中心部の広場。圧倒的にオートバイや自転車が多い。
 私は早い時期から中国語を勉強しようと思っていたのだが、深センに来るまでは一言も話せなかった。中国語を勉強したいと思ったのは、父が若かった頃北京、天津で過ごしたことが影響しているのかもしれない。今でもはっきりと記憶している言葉は、「快快来」(kuaikuailai 早く来い)である。
 私が東京に駐在している時、中国語を勉強しようと買った一冊の教本は、今でも大事に保管している。その頃、「中国の体制は必ず開放される」と私は思っていたのだ。だから、いずれ中国語が必要になるだろうと考えたのである。
 2年半前に、その夢が、これという準備する時間もなく叶ったのである。私の年齢が60歳近いということもあって、友人や周囲の親しい人たちは、難しいことだからと引き止めようとした。しかし、中国に対する漠然とした関心と、何とも言えない情熱が、私を中国に行かせようとしたのだ。
 案の定、中国に来てから、一番多い質問は、「そんな年齢になって、なぜ自ら難しいことを選択したのか」であった。私には未だたくさんの余生があるし、たくさんの仕事が私を待っていると思うからだ。
 米国の著名な経営学者であるピーター・ドラッカー(Peter Drucker)は、私が中国に渡った3年前に、93歳の高齢だったが、3部作の新書を発表した。彼の年齢に比べると、私は未だ35年以上の時間がある。これほどたくさんの歳月が私を待っているのである。これは余生ではなく、第二の人生の始まりなのである。私の経験を振り返ってみると、大学卒業後、社会に進出し結婚して家庭を作り、子どもが結婚する、あるいは私自身が会社を定年退職するまでの期間より、実に長い歳月が私を待っているのではないか!
 今まではひたすら、自分自身と家族のために一所懸命に働いてきたと思う。これからはそのような負担もなく私の思う通りにできるだろう。もし以前に、経験不足で誤ったことをしたとしても、また同じような場面に遭遇しても、過去の痛い経験に基づいて素晴らしい結果をだせるに違いない。金銭と名誉に関係なく、私を必要とする新しい世界を迎えることである。私の役目を遂行するためには、一所懸命に勉強し、鍛錬して準備すべきであろう。
 私の中国留学において、家族への想いは人情の常である。だが、はるか遠い未来のために私は我慢して待つのである。宋朝の黄庭堅が『浮雲一百八盤瑩,落日四十八渡明。鬼門関外莫言遠,四海一家皆弟兄!』と言ったように、ここで知り合うよい友人たちは、全てが新しい兄弟姉妹であるから寂しさを感じることも無い!
 しかし、年のせいか記憶力が減退してきた。これも生きる一つの過程であろう。唐朝の柳宗元がすでに禪經で、『澹然難言説,悟悦心自足』と表現したように、当時の彼の心境と、現在の私は同感である。


アパートの庭で子共のお世話をするお爺さん、お婆さんたち。町の人たちも皆おだやかで親切である。環境にはすぐに適応することができた。
 人々は新しいことを始めるのは難しいという。以前私が修士課程を始めるときにも、学位論文を提出するのも会社の仕事が忙しくて相当の期間を延ばしたが、結局、国際学修士学を取得することができた。
 “好い始まりは半分の成功”と言われる。私は新しいことを始めるのに、決して“遅い時期はない”と思う。ひたすら信じる心を持って努力すれば、どんな困難にも勝ち抜けるだろう。今、第二の人生の準備が始まったのである。知識が増えると私の活躍の場も広がるだろうし、人生に対する情熱ももっと深くなるだろう。
 ここで知り合った人々は、私の新しい希望であり喜びである。たった今新しい所へ到着して、すべてが慣れない環境なので、早く適応できるように皆丁寧に応対してくれた。明るい明日のために、より多くの見聞と、人々に接するべきであると思う。なぜなら、中国をより深く正確に理解するのが、私に与えられた新しい使命だと思うからだ。
 古い諺に『有志者事竟成』とあるように、意志があれば必ず成功する日が来ると私は信じている。そして、私は自分が未熟者だとよく知っている。そのために、自分の弱点を補完するよう全身全霊で努力するつもりである。
 私の夢が実現される日が次第に近づいていることを確信している。私には他に気がかりなこともなく、このようなよい機会を与えてくれた神様に感謝しながら、これからの第二の人生において、これからも加護があるようお祈りするだけである。
 私が心に永遠に秘めているのは、晋朝陶渊明の『盛年不重来,一日難在晨;及時當勉励,歳月不待人』の詩である。


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